私はまっこBoo

私、”まっこ”という人間の人生模様です

今もときどき顔を出す私のトラウマ~その2~

 

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私が唯一「人間のクズ」と呼ばせて欲しい、子供たちの父親。

敢えて「子供たちの父親」と表現するのは、確かに私が選択した結果ではあるが、「元旦那」と繰り返し言うと、吐き気がするからだ。

それほど、私にはおぞましい、人生の汚点となってしまったからだ。

この記事が子供たちに知られる事はないと思うが、この先、万が一このブログが私だとばれて読まれても、これだけ母は長年、苦しんでいたと、理解して欲しいと思う。

ただ、僕たちはクズの子供なのか?

クズの子供だ、可愛くないと心の中で思っているのか?じゃあ何で産んだんだ??と言われるとまた辛いが、

ただ、「許せない奴」から「人間のクズ」に昇格したのは、ここ数年の話だ。

 子供たちとの保つべき一定の距離を礼儀もなく侵害し、最近は頻繁に、まるで自分が苦労して育てて来たかのような言動をしているからだ。

養育費も出さなかったのにだ。

自分も年を取って来て(私より8才上)老後の生活が心配になったのだろう。また、怪我や謎の病気、蜂に刺されたりで、頻繁に入院しているらしい。

車で2時間くらいの実家に、年の離れた姉たちが数人いるが、彼女達は弟に何かあると、近くにいる息子や娘に鬼コールをしてくるらしく、子供たちはストレスで堪らないと言う。

また自分の息子もいるはずなのに、勝手に私の息子に墓を守れと言ったらしい。

父親は困ると、いくら仕事中だと言っても、「今すぐ来い!」と命令調で言うらしい。

パチンコで負け、息子にお金を借りた事もあるらしい。

たまに意見すると、「お前の感情なんか、どうでもいいんだよ!」と言うらしい。

社会人になってからの子供たちと父親の間の事は、極力、口を出さないようにしていたが、そんな話を聞くと、寒気がするし、どうか消えてくれと思ってしまう。

そして、知らず知らずに深みにハマっている子供たちを人間のクズから守ってやらなければならない。

 

しかも年々クズさは悪化し、私に直接攻撃出来ない分、子供や周りの人間を巻き込み、虚言により、私を孤立させようとしているのだ。(としか思えない。)

 

昔の私は弱かった。気は強いはずなのに、思ってる事は中々言えない我慢するタイプの人間だった。

そのせいなのか、母が義父に暴力を振るわれても堪えていたのを見て来たせいなのか、クズにされてきた数々を今まで話せる人はいなかった。まさか友人に事細かには話せないし、子供たちにも言える訳がないし、とにかく苦しかった、いや、今も苦しんでいる。

母がそれなりに知っているのかもしれないが、私が暴力を受け、首に絞められたアザが残った時でさえ、全力で助けてくれない母だったから、私は一人で闘った。

後で考えれば、その頃は、DVの義理父の癌の闘病が始まった時期と重なっていたからかもしれない。

私が子供たちの父親からのDVからようやく解放されたのが、義理の父が亡くなった後だ。

義理父は母以上に私の心配をしてくれていて、亡くなる前の一時退院した際、

 

「お父さんが死んだら、その保険金で部屋を借りなさい。そして必要な物は全て買い揃えなさい。助けてあげれなくて申し訳ない・・・お母さんには言っとくから。」

 

これではどっちが本当の親かわかりゃしない。そんな父だから、母には暴力を振るっていたものの、私は憎む事も出来なかったのだ。

父は父で、命日を忘れられない様に、私の誕生日に亡くなったんだろう・・・か?

 

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そうして、子供たちの父親とは10年目にようやく、離れる事が出来た。

実際に離婚届けは、その2年前に出していたが。初めてひどい暴力を振るわれた時、両親の前で離婚届けにサインさせ、実家に預けていたのを私が内緒で出しに行ったのだ。

と言うのも、警察に何度か相談しても、「戸籍上は夫婦だから」それだけで、介入してくれなかったからだ。DVされている現場を目撃すれば現行犯だけどね~と言われ、何度泣いたか。

普通、周りの人が通報でもしてくれない限り、暴力されている最中に電話なんか出来ないですから。

腹が立つより悲しかったです。クズが逃げた後に警察官が傷だらけの私を見ても、ガラスが飛び散っていても、何も出来ずに帰って行くんですから。

 

そもそも、何故すぐに逃げれなかったのか、家を出なかったのか、疑問に思う方もいるかもしれませんね・・・。

答えは簡単です。

お金がなかったからです。

 

結婚した後に借金が300万以上ある事が分かったのです。そう、多重債務、キャッシング地獄です。

だけど母は結婚を反対していたので当初はとても言えなかった。

なので、息子が9か月の頃から託児所に預け、私もフルで働いたが、やり繰り出来なくなると仕方なく、私は鬼の様に怖かった母に頭を下げ、10万借りた。翌月給料日にそれを一旦返し、また借りる・・・まさに自転車操業だった。

時には、借金取りの様な男が家に訪ねて来たし、電話の催促も来た。

電話恐怖症にもなったくらいだ。

(電話も、トラウマになっているくらいだ。)

返しても返しても、金利で中々減らない借金。

お金がない時は、肉も魚もろくに買えないので、私は我慢した。まるで漫画か昭和の貧困のドラマだ。

当時の私は、身長158センチに対して、体重41、2キロでガリガリだった。だけど、クズは、暇なし品の無い友人を呼び、宴会をし、子供の前でたばこをぷかぷか、王様にでもなったつもりか、次のつまみはまだかと、私を女中の様に扱った。

 

彼女に追い出されて行く当てのない命の恩人とか云う先輩らしき男をしばらく居候させてくれと頼まれ、仕事から帰るとその人のご飯まで作らされ、クズの帰りが遅くなった時は、子供のいる前で、犯されそうになった。

必死で訴えれば、「先輩が、お前が誘ったって言ってる・・・。」

初めて殺意というモノを理解しそうになった。

 

最後の支払いの時は、これで人並み?の生活が出来る様になるんだ!と、涙が出たのを覚えているが、クズからは「ありがとう」の一言もなかった・・・。

 

生活の余裕が少しづつ出て来ても、何故かお金は貯まらなかった。

酒タバコ、車、暇なし友人との宴会、金使いが荒かったのだ。

 

そんな中、私の働き方も子供の手の離れ具合によって変わり、生活の為のガツガツした物ではなく、新たな人との出会いも楽しむ様になり、仕事が楽しくなった。

おそらくクズは、外で楽しむ私が面白くなかったのだろう。

自分の囲いの中にいると思っていた私が、外に飛び出したのだ。

束縛、監視、暴言が増えて来たのもその辺りだ。

 

職場に変な電話をかけて来たり、子供の頃や学生時代のアルバムの写真も、ある日、知らない間に全部剥がされていた。

ママ友を呼びつけ、私の動きを聞き出したり、昔からの友人も、何か、遊びに来ると良い顔しないから・・・と、来てくれなくなった。

胃潰瘍にも二度となった。

 

今も同じだ。

私の大事にしている物、人、場所、全て奪おうとする。

 

暴力は毎日ではなかったが、間違いなく回数が増えて行ってる事に気づいた時、私は段々生きる希望を失い、偏頭痛が治らず、体重も40キロを切ったりした。

怖くて、包丁なんかは全部自分の布団の下に隠してから寝た。

 

そして、限界を何度も重ね、離婚を決定付けたのは、子供の前で首を絞められた時だ。

 

え~と…ごめんなさい、書いている内に憑りつかれた様になっているので、一旦、ここで止めますね。

長いし…(*_*)

途中、汚ない言葉があるかと思いますが、今回はお許しください…。