私はまっこBoo

私、”まっこ”という人間の人生模様です

今もときどき顔を出す私のトラウマ ~その1~

私の人生の中の一番のトラウマは

「暴力」である。

その「暴力」には身体的なものは勿論、言葉の暴力も含まれている。

 

「トラウマ」の語源は何?

「トラウマ」は日本語では心理学の学術用語として「心的外傷」または「精神的外傷」と訳されています。その意味は精神的に何らかの大きな打撃を受け、さらにその影響が後遺症のように長く残るような体験を指します。最近ではPTSD(Post Traumatic Stress Disorder:外傷後ストレス障害)という言葉を耳にするようになりました。

 

この「トラウマ」はもともとはギリシャ語で、その意味は「傷」でした。したがってもともとは特に「心の」傷という意味はありませんでした。

実際英語などでは“trauma” は後遺症を伴うような物理的な外傷(physical trauma)と心理的な外傷(mental trauma)の両方を指すのに使われます。

 

激しい物理的な外傷が後遺症を伴うのと同じように、過去の強い心理的ショックがそのずっと後になって忘れ去られても精神に障害をもたらすということを心理学者のフロイトが発見しました。

その際に用いられた “trauma” という用語がドイツ語の心理学用語となったものを訳したのが日本語の「トラウマ」のようです。

 https://www.alc.co.jp/jpn/article/faq/04/118.html アルクより

 

このトラウマは、その「モノ」によって克服出来るものもあれば、生涯、心の中に隠れ続け、似た場面に遭遇した時にはひょっこり顔を出す・・・という克服が困難なモノもある。

 

私のトラウマはなんと言っても「暴力」だ。克服できるはずもない。

今の生活がそこそこ平和であっても、心許せる友人、楽しい仲間が何人居ようとも、心に受けた傷は治らず、何かの折に、体の震えと共に顔を出すのだ。

 

親、配偶者、知人、犯罪者、上司・・・いろいろな角度から暴力を受けた方たちは相当いるだろう。

私が受けた人間は、亡くなった義父と子供たちの父親だ。(最初の旦那)

義理の父の事はこれまでの記事の中で出した事はあるが、暴力を受けたのは母であって、いわゆる、私は二次被害者である。

私には優しかったが、母と口論になると酒の力を借りて恐ろしいほどの暴力を振るった。

私には優しい、だが母にはひどい事をする・・・その、身動き出来ない状況に置かれた私は、子供ながらに表現しようのない傷を負った。

 

実際にはそれは大きなトラウマに繋がる入口に過ぎず、私に心的外傷を作り、今も尚、攻撃する事を止めようとしない「人間のクズ」、それが子供たちの父親だ。

 

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↑ ↑ 先日、帰省した時に迎えに来てくれた娘が着ていたTシャツ。↑ ↑

 7月に一緒に行った原宿で買ってた物だが。

 人間のクズ・・・けして良い言葉ではないが、最近の若い世代の会話から、

「あいつくそだ!」「くずだわ!」と割と普通に耳にする。

うちの1年生の孫でも言うのだ。もはや常備語になってしまったのだろうか?

人間関係で不愉快な思いをしたり、ひどい事をされたり、許せないと思った時につい言ってしまうのだろうが、私は極力、普段使いはしたくない。

だって、本当にクズだ!って思った人間だけに使わないと、効力が薄まるような気がして・・・。

ある意味、そんな相手をそう表現する事で、自分の感情の逃げ場を作っているのだから。

 

人間のクズの特徴6つ - おすすめ情報 ランキングSite

 

屑(クズ)とは - コトバンク

 

 

娘は昔、育児ノイローゼ気味になった時、泣き止まないまだ3才の息子に暴言を吐いたらしい。

そして、そんな自分の言動は、父親の遺伝のせいだ!と、苦しんだ。

 

だが、私は離婚してから子供たちが一人立ちするまでに、父親の異常な執着心、暴力の事、狂言、その人間性、何も話した事はない。むしろ、思い出すと震えるくらいに辛い過去なので、心の奥底に封印していたくらいだ。

それに、悔しくて嫌ではあったが、離婚して落ち着いてからは、連絡を取り、時々、子供たちと会わせたくらいだ。

私に何かあった時、子供たちを守る人間が一人でも多くいた方が良いと思ったからだ。

それに、親の勝手で離婚し、只でさえ肩身の狭い環境にいるのに、もう一人の実の親に永遠に会えないと云う、私のエゴで子供の自由な選択をする権利を奪う事はしたくなかった。

娘が自分の中の暴力的な部分が見えた時に父親からの遺伝だと思うのは、会っている中で、少しづつ肌で感じていたに違いない。

 

私は子供たちの多感な時期に、いつも仕事でいなかった。仕事で精一杯だった。

だから、帰りも遅く、話す時間が少なかった。それでも私は、お金さえあれば、3人で美味しい物が食べられるし、新しいゲームも買ってあげられるし、すぐクタクタになる安い靴じゃなくて、いい靴も買ってあげられる・・・

こんなボロ家じゃなく、広い、キレイな家にも引っ越す事ができる!

そんな思いだけでひたすら成長に合わせて職を変え、勉強し、キャリアを重ね、突き進んできたのだ。

だけど、その頃の子供たちの目に映っていた私の向いている方向は、外だけだったらしい。

だから必然と、父親に頼らざるを得なかったらしい。今も私より近くに住んでいるから、時々会っている。

必死で生きて来た…はずの私には酷な話だ。

だが、あのクズが、素直だった子供たちに与えている悪い影響を、このまま見過ごしていても良いのか?私は今、苦しんでいる。

 

「人間のクズ」 それは、わたしが彼に対して付ける身分であって、子供たちの目からはまた違った見方があるのだ。

 

だが、ここ数年は、子供たちも年を重ね、親を一人の別な人間として冷静に見る様になり、いろいろな感情が交錯しているようだ。

私はそこに口を挟むつもりもなく、ただ感情の揺れを見守るしかない。

 

…また後日、宜しければ読みに来て下さい…m(__)m