私はまっこBoo

私、”まっこ”という人間の人生模様です

逃げる事の出来ない「死」との向き合い方。

私は自分のブログの中で何回か「死」に関わる事に触れて来た。

「死」って、字で書くと・・・なんだか不気味だし美しい字に見えない。

(意味を知ってるから、ただ先入観なんでしょうが。)

 

↓↓ で、調べてみた!

ameblo.jp

どれを見ても大体同じ見解でしたので、きっとそうゆう事なのでしょうね。

私は単的に、「死」を見て「生」を学べ、「生」を知り「死」を受け止めよ・・・と捉えました。

 

私も50才を過ぎ、さすがに気持ちだけでは体が追い付いてこないのを実感している。

とにかく無理をしなくなった。

無理な予定の立て方も、時間の配分もだ。

イコール、計画性を持つようになった訳です。

昔の私は計画性がゼロに等しく、無茶な行動ばかりしてましたね~(^^;

「なんとかなるさ!」的な。

でも、さすがにこの年齢になると、「なんとかならなかったり」する訳です。

長めの信号が変わりそうになっても最近は走らなくなりましたから。

走った挙句、転んだり、間に合わなかったりしたら恥ずかしいですしね。

 

そして、気になっている事は、すぐ調べる、行きたい所は優先して行く、言いたい事はなるべく言う、今日出来る事は、極力、今日する・・・でしょうか。

 

今日は今日しかないんですよね!〇才〇日目の自分は今しかいない、明日になれば、二度とその日の自分は戻って来ないんですよね。時間も。

若い時は、時間はいくらでもあるって思ってた。

嫌な事があれば、早く明日にならないかな?早く来週にならないかな?

早送りしても、また巻き戻せた様な気がした。

寂しい事だけど、年を重ねて行くと、時間の重みが変わってくる。

意識しないと、1年に2回、誕生日きてる??私にはそんな感覚です。

だけど、昨日の自分が明日の自分の為に何かをすれば、その積み重ねたモノは、けして消えないですよね?その積み重ねが後悔のない死を迎えられるんじゃないかと思うんです。(きれい事かもしれませんが。)

 

上の「死」と云う字の由来からすると”左は屍、右側は生きている人”という事ですが、亡くなった人も、動かなくなった自分の体を傍らでのぞき込む様に眺めるそうです。

自分が死んだ事に気づかなくて、人ごとの様にのぞき込むのでしょうか。

(実際、私も身内の通夜で見えてしまった経験があります。)

 

そんな日が果たして来るのかどうかは置いといて、少なくとも私が突然死なない限り、確実に身内、知人などの死が何回か訪れるはずです。

だから、嫌でもまた「死」と正面から向き合う覚悟が必要になってくるのです。

 

一緒に働く仲間のお父さんが、92才にして末期の癌が発覚し、二ヶ月前は余命1年と言われていたのに、最近、三か月と宣告されたそうです。

老衰で静かに亡くなるんだろうと思っていた同僚は、突然の闘病生活に入った高齢の父親に掛ける言葉も見つからないと言ってます。

私ももし彼女だったら・・・言葉なんて浮かびません。きっと辛いです。

 

親の死と向き合えないとか、怖いとか、受け止めれないとか、この頃そういった話をよく聞いたりしますが、当然の事です。だけど、親が先に亡くなるのは自然の摂理です。

子供に先立たれるよりは、受けとめられるのではないでしょうか。

だけど、お互いの年齢にも寄りますね。

自分もそれなりの年になったから、受けとめられるんでしょうから。

だけど、一番不安なのは、亡くなる本人です。

そして、もし余命を宣告されているならば、限られた時間は分かっているはず。

だったら、後悔しない様に何が出来るか、その時間を大切に使わないといけないと思うんです。

この間、仲間ともそんな話をしましたね。

もし自分の死ぬ日が分かっていたら、その日までどんな生き方をするか?まず何を一番先にするだろうか?

でも、それって、想像すると怖いですよね。知ったら、果たしてみんな、前向きに生きられるんでしょうか・・・?

 

私の実の父親は母と離婚し、向こうも再婚したのを機に、もうずっと会ってないけれど、亡くなれば相続放棄などの連絡がどこからか来ると思うので、まだご健在なんでしょう。

育ててくれた義理の父親は平成9年に癌で亡くなりましたが、私がごく近い人間の動かなくなった姿、冷たくなった体を経験したのは、その時が初めてのように思います。

ショックでした。

そのあとの数年以内に更なる悲劇は続きましたが・・・。

 

その辺りからでしょうか、私が人の「死」を冷静に受け止める様になったのは。

他人事だと思っていた「死ぬ事」が目の前で起きるのです。

大切な人が、突然いなくなるのです。

確かに悲しいし辛いんですが、命がある限り、また自分にも必ず訪れる「死」と「それまでの生き方」について時々考えるようになったのです。

 

私は、まわりの人間が結構な高齢になっている事に最近、気づきました。

数年前までは自分が生きる事、生活する事、仕事の事で手一杯で、周りの事を考える余裕がなかったんですね。

気づいたら自分も50才を越え、となると、母だって兄弟だって親戚だって友人だって、みんな、毎年同じように年を取ってるんですもんね。

みんな、自分の「死」について、どんな風に考えているんだろう~。

 

親は?産んでくれた親は、死ぬ時、何を思って逝くんだろうか・・・。

今までは考えなかった。

~ま、私の人生こんなもんじゃない?~なんて、最後の言葉にして笑ってくれたらいいが、せめて苦しむ顔、悲しむ顔は見たくない。

 

今週、お盆に帰れなかった分帰省するので、またみんなで集まったら、そんな話でもして見ようかな?

もしかすると、して欲しい事があっても、言いたい事があっても、我慢してるかもしれないし。

 

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