私はまっこBoo

私、”まっこ”という人間の人生模様です

続、私の2011年3月11日

前回の続きになってしまうが、久しぶりに戻って見た震災後の仙台の光景は、言葉を失うばかりだった。

娘をゆっくり休ませたいのもあり、仙台から秋田まで、日帰りでUターンした。(だって妊娠してるし(-ω-)・・・)

息子には家族もいるし、仕事もあるしで、遠い秋田に全員を連れて行く訳には行かない。

ただ、感じたのは、私が心配でガリガリになるまで思い悩んでいたのとは反面、家族や知人の様子はびっくりするほど元気だった。私の母ときたら、戦後の日本みたいで懐かしいわ!などと言っていた。(たまたま家にしまってあった七輪で、火が使えたとか!それでお湯が沸かせたから、沢山あったカップ麺なんかで当面を凌げたとか。)

 

私の祖母は市営住宅で一人暮らしをしていたが、骨折してちょうど動けなかった時にこの震災に合い、住んでいる住宅まで津波が来たそうだ。

だが同じ住宅の方が思い出し、屋上まで運んでくれて、助かったらしい。

私が子供の頃に良く遊びに行った海のすぐ側の、漁師だったおじさん、おばさんの大きな家は、津波で流された。

おじさん、おばさんは、たまたま親戚の見舞いで出かけていて助かったようだ。

親類は皆、運よく助かったようだ。それぞれに失ったモノはあるだろうが・・・。

私も、地震直後から、時間差で何十何件ものメールが届き、その中には何年も連絡すらしていなかった友人、知人からの心配のメールがあった。

なぜ私のアドレス知ってるの?って、びっくりする人もいたが、あんな最中に私を思い出してくれた事に嬉しくて涙が出たし、それを機に、人間は多くの人に助けられて生きてるんだと感謝をし、これからは人間関係を見直す事にしたのだ。

何かが起きた時に、その人間性は露わになるものだ。

如何に口ばかりの人間が多いか、付き合いを見直す、良いきっかけにもなった。

寄ってくる人間みんなと付き合う必要はない、自分が付き合う人間を選んでいいんだと思った。

その時に連絡をくれた友人達とは、今もマメに会ったり連絡したりはしないが、会った時には違和感なく、経過した長い日々の中の出来事を共有できる。

 

さて、秋田に戻ってからだが、一週間後、娘の彼氏が迎えにやってきた。(奪いにか。)娘より10才以上も年上だ。私との方が近いじゃないかっ!!

淡々と事情を聞いた。娘は産みたいから私に隠していたらしい。堕胎できる時期もとうに過ぎている。

彼氏は、とにかく頭を下げた。

仕事に呆けて管理を怠った私の責任だ。私がいない間、寂しかったゆえの結末だ。

私がこれ以上、何を言えるだろうか・・・。

娘に最終判断を仰ぐと、彼と仙台に帰ると言う。そして、その日の内に、娘は好きな人と、荒れ果てている仙台に戻って行った。

その時の心の空虚感は、娘には分かるはずもない。会えずに秋田に戻った私にいつまでも怒っていた息子にもだ。

その年の9月に私は仙台に戻されたので、目標があって転勤した秋田での3年間は、そうして幕を閉じたのだ。

秋田に行く前は3人で暮らしていたのに、子供たちはそれぞれの相手と人生を歩み出し、私は突然一人になった。

時間を仕事にどっぷり使って、収入と地位こそ得たが、何も得てないような、逆に、何か大切な物を失ったように私は感じた。

そう、目標を失ったのだ。

結局、何も達成していなかったのだ。

離婚して、とにかく働いて、3人良い暮らしが出来る様に・・・と、走り続けて来た結果がこれである。

だが、震災で亡くなった多くの方々の事を考えると、私の家族は全員生きていたんだ。

弟だって言ってたじゃん。「もっと楽に生きろよ!」と。

 

震災の翌年、私は会社を辞めた。生き方を変える為にだ。

 

後で友人から、高校時代の恩師が津波で亡くなったと聞いた。

ある友人には、自衛官の家族が遺体探しの仕事で辛い日々が続き、思いうつ病になったとも聞いた。

町は復興しても、心の爪痕は永遠に消えないのだ。