私はまっこBoo

私、”まっこ”という人間の人生模様です

自分の生きる場所

私は愛知県岡崎市で生まれ、母の都合により小学3年からは宮城県仙台市で育った。

はっきり言うと、私は仙台に思い入れがない。長年暮らし、いわゆる青春時代を過ごした故郷ではあるが、昔からよその地にいるかの様に、馴染めなかった。

今は神奈川に住んでいるが、母と子供と孫も兄弟も、皆、仙台にいるから年に数回帰るくらいで、たまに帰っても故郷感はない。自分でも寂しく思うが、故郷を大切に思う人が本当に羨ましい。

私の終の棲み家はどこなのか…。

 

主人の故郷は、群馬県だ。

だが、毎月帰っているから故郷という感じではないようだ。だが、主人の郷土愛はそれなりに深いから、老後は群馬に戻りたいだろう。

私も何度も一緒に行ったが、なんとなく落ち着かない。だからきっと、群馬県も私の終の棲み家にはならないだろう。

夫婦で、老後の住みたい場所が異なる場合、どうしたら良いのだろうか。

妻だから夫の方について行くなんてゆうのは、ひと昔前の考えだと思うな。

自分の最後の地を選べないなんて、それこそ後悔しそうだわ。住めば都と言うものの…💧

テレビで、定年後に田舎で暮らす…みたいな番組を観るが、よほど、ビビッと来たのだろうか。羨ましい。

今暮らしている神奈川県は、結構好きだ。

横浜なんかも居心地が良い。

 

これまで何回か生まれた愛知に遊びに行ったが、幼少期を過ごしたからか、不思議な懐かしさ、空気のおいしさ、安堵感に気づく。

帰りたくない、もっと居たい!と、いつも後ろ髪を引かれるのだ。

だから、私は最終的には愛知県に帰り、人生を終わらせたいのかもしれないと思う。

もしくは、何十年も会っていない実の父親がまだ愛知県で生きているから、気になるだけなんだろうか。

どこに住んでも、今は「仮の場所」という感覚から逃れられずに、いつかまた移動する事を考えると、何をするにも中途半端、本腰を入れれないでいるのだ。困ったものだ。

 

だけど、本当は、住む場所なんて関係あるんだろうか。自分の安定した居場所と言うのは、誰とそこにいるか?なんだろうか。

赤ちゃんがママに抱っこされて安心するように、大人になっても、自分の居心地の良い場所を確保しなければ、心の空虚感はなくならない。

思えば、私はずっと空虚感と闘ってきた。

心の底から信頼仕切れる家族も友人もいない。(私の心に問題があるだけだが。)

旅行に行っても、美味しい物を食べに行っても、どこか本気で楽しめていない、物足りなさを感じる苛立ち。その為に、いろんな事にチャレンジし続けているのかもしれない。

 

朝起きて、仕事して、ご飯を作り、眠くなったら寝る、そんな当たり前の日常を幸せに思える場所を見つけたい。

ここが自分の居場所なんだと、覚悟を決めた時、人間本来の力を発揮するんだろうから。