私はまっこBoo

私、”まっこ”という人間の人生模様です

続、母という人間

私は離婚しない母が不思議だった。

あんなにヒドい暴力をふられて、生きた心地はしなかったはずなのに。

義理の父は私には優しく、やりたい事は大抵やらせてくれたので、暴力さえ振るわなければ問題はなかったが、私の姉とは相性が悪く、姉は、祖母の養女にされ苦労した。

そんな父親も、平成9年に短い闘病の末、スキルス癌で亡くなった。(64才だったかな。)亡くなっても私には覚えていて欲しかったのか、私の誕生日に息を引き取ったので、私は自分の誕生日が来る度に義理の父親を思い出す事になるのだ。

 

告別式に、母の涙はなかった。

というより、晴れ晴れとした顔をしていた。

酒乱の父と長い間闘い抜いたのだ。

これからは、自由だ。

そして母は、昔から夢だった小料理屋を開店すべく準備を始めた。その頃はイキイキして楽しそうではあったが、私は時々様子を見に行った時の、母のひどく疲れている顔が気になり、弟に気を付ける様に言っていた。

 

その矢先、元旦に、母は倒れた。

脳出血だ。私も人生大変な時期だったから、はっきりと覚えていないが、母が54才か55才の時だ。

数日、峠をさ迷ったが命は取り止めた。

だが、3年持たないだろうと、医者に言われた。

私は思わず、亡くなった父にお願いした。

「連れて行かないで!もう母を自由にしてあけてよ!」

年齢より若く、はつらつとして活発な母、鬼のようだか、その気性で、私達四人兄弟を育ててくれた母が、突然、いなくなるかもしれない。震えた。分からないが、震えたのは覚えている。

そして、私も50を過ぎたから、余計に思うのだ。焦るのだ。あと数年で母の様に突然倒れたら…。

じっとしていられる訳がない。

人生何が起こるか分からないのだ。

私も母の様に明日、倒れて意識がなくなるかもしれないのだ。

 

私の母は妖怪女である。

3年持たないと言われたはずだったが、今も生きている。

まあ、重度だったので、右側は手も足も、今も麻痺して全く動かない。障害者になった。

だが、人間の体は右側だけじゃない!と、今では左で器用に包丁を使っているし、びっこ引いてでも、歩ける所は1人で歩いて行く。

人間病気をすると人間関係がよく分かる。

利用価値が無くなると大抵の人は離れて行くようだが、思いもよらない人が、心配して助けてくれる。

母は、とにかく、めげない。

毎日運転していた車も手放し、家の古くなった暗い壁紙を明るくし、片側しか動かない体だが、これからは何が出来るかと、考えて努力し、健康オタクにもなり、笑う事が増えた。

元、裏番で、鬼の様な母は、自分で出来る事は、自分でする。1日でも長く生きる為にだ。動かなくなったら人間、終わりだと言う。

そして、今や障害者の母は言う。

「子供と年寄りと障害者は甘やかすな!」と。

私たち兄弟は、母に対して思う事は沢山あるが、何だかんだ言って、定期的に実家に集まる。酒豪だった母は、医者から言われて大好きだった日本酒をやめ、今では焼酎だか、県外にいる私と一緒に飲むのを楽しみにしている。皆で飲みながら昔話に華を咲かせる訳だ。

母が包丁を振り回されようが離婚しなかったのは、自分の勝手で離婚をした後、非力さで弟達に不憫な思いをさせたくなかったかららしい。

とりあえず、母にはまだ生きていて欲しいと願う。

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